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名古屋高等裁判所 昭和36年(う)679号 判決 1962年5月31日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役六月に処する。

本件控訴事実中、被告人が昭和三六年五月一六日午前四時頃、大垣市郭町一丁目九六番地清水行雄方前路上において、同人所有の中古小型自動四輪車一台外ガソリン約一五リツター(時価合計一〇一、二〇〇円相当)を窃取したとの点については、被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は弁護人大塩量明の控訴趣意書に記載されているとおりであるからここにこれを引用するが、これに対し当裁判所はつぎのように判断する。

控訴趣意第一点法令の解釈適用の誤の論旨について

所論は、要するに、原判決が原判示第二の事実について被告人に不法領得の意思があるとして、窃盗罪の成立を認めたのは、法令の解釈、適用を誤つたものであつて、本件はいわゆる使用窃盗に過ぎない、というのである。

ところで窃盗罪の成立に必要な不法領得の意思とは、永久的に他人の物の経済的利益を保持する意思であることは要しないけれども、単に他人の物を自己の所有物と同様にその経済的用法に従つて利用し、又は処分する意思があるのみでは足らず、同時にそこに、何らかの意味での、その物の権利者を排除する積極的意図を伴うことを要すると解すべきである(昭和二六年七月一三日最高裁判所第二小法廷判決参照)。

さて原判決挙示の証拠その他原裁判所において取調べたすべての証拠の内容を検討綜合すると、(一)被告人は、本件自動車の所有者である食料品商八百万こと清水行雄方に昭和三六年二月二〇日頃から住込店員として雇われていたこと、(二)同年五月一五日は大垣祭で、夜一〇時頃閉店し、被告人は主人の右清水から酒、ビール等の馳走を受けたが、なお飲み足らず、現金二、〇〇〇円余を持つて店を出て、二、三の酒場、屋台店等で飲酒を重ね、翌一六日午前二時半頃帰つたが、店は戸締してあり屋内に入ることができなかつたので、同店前路上に駐車してあつた主人清水所有の本件自動車の運転台で仮眠したこと、(三)約三〇分位して被告人は眠をさまし、煙草を買うために右自動車を運転して(右自動車は鍵が紛失して、平素から鍵はかけてなかつた)程遠くない大垣駅に行つてたばこを買い、引返して来たが、このまま店の前路上で夜を明すよりも、この機会に名古屋市に住む従兄弟の高橋秀夫の許まで行つて見ようと考えて、同日午前四時頃、右自動車を運転して名古屋市に向けて出かけたこと、(三)途中被告人は道を誤り、その中ねむ気を催して、車を止めて眠り、午前七時頃再び眠をさましたこと、(四)被告人はなおも名古屋市に向つて走行したが午前九時頃愛知県海部郡甚目寺町地内の法界門橋を過ぎ、名古屋鉄道津島線の踏切手前で一旦停車したところ、ガソリンが無くなつたため、そのまま自動車は動かなくなつたこと、(五)被告人の所持金は当時約六〇円でガソリンを購入することができず、附近の人家で金を借りようとして断られ、やむなく自動車をその場に乗り捨てて国鉄清州駅まで歩き、電車で名古屋に午後三時半頃着き、疲れていたため同夜は同駅待合室で過ごしたこと、(六)翌一七日午前五時半頃被告人は同駅を出て従妹の名古屋市昭和区幸栄町松浦きく子方を訪ねたが、不在で同女の夫からガソリン購入のための金借を断られ、同日午前一〇時頃前記高橋秀夫を訪ね右事情を話し、同人の勧めで、主人清水行雄方に電話をかけたが、同人は警察に出向いて不在で、同人の妻から自動車を乗り捨てた現場へ行くよう言われ右高橋と共に現場に出かけたところ、既にそこには自動車はなく再び右高橋方に引返して更に主人清水方に電話したが、同人の妻から心配することはないから直ぐ店に帰るように言われたこと、(七)そこで被告人は右高橋から二〇〇円を借り受け、同日大垣市に戻つたが気おくれがして主家に入れず、同夜は右清水方の三階屋上で過し翌一八日もよりの郭町巡査派出所に行き駐在巡査を介して詫びを入れ、その後右清水方に半月程引きつづき働いていたが被告人の方から申出て右店をやめたこと、(八)本件自動車の所有者前記清水行雄は同月一六日朝八時頃右自動車がないことを発見し、あるいは被告人が乗つて行つたのかも知れないと考えたが、はつきりしないので一応警察へは、何処かにあつたら報せて欲しい旨届出をしておいたところ、その翌日警察から右自動車が発見されたから受取りに来るよう通知があつたので、同人は警察に出頭して同日初めて正式に盗難届を提出したこと、(九)なお右清水は平素は朝五時半頃名古屋へ商品の仕入に行つていること以上の事実を認めることができ(右事実はほぼ原判決も認定するところであり、弁護人もこれを争つていない)更に当審において取調べた証人清水行雄の証言によれば、(十)同年五月一五日の大垣祭の夜、同人は被告人に対して翌一六日は休みのようなものだから朝は遅くまで寝ていてもよい旨話しており、同日右清水が右自動車を運転して名古屋の市場へ商品の仕入に行かないことは被告人も知つていたこと、(十一)右清水が名古屋に仕入に行くのに当つての所要時間は本件自動車で片道五〇分ないし一時間であること、(十二)被告人が本件自動車を無断使用したことについて、右清水は困つたことであるとは感じたものの、使用人の一時の出来心で特にこれを取立てて咎める気持はなく、この程度のことは容認していたこと、以上の事実が認められるのである。

原判決は、被告人の右所為について、本件犯行当時は右自動車を永久に自己のものにして使用するとか、他に処分しようなどとするような意思はなかつたことを認めつつも、被告人が名古屋市に向つて運行中一旦仮眠し、午前七時頃眼をさましたとき名古屋市に行くことを断念して、ただちに引返すべきであつたのに、なおも同市に向け出発し、途中ガソリンがなくなつて運転不能になつてから、満一昼夜を経て、その旨を主家に電話で連絡するまでの間右自動車を現場に乗り捨てておいたことは、被告人が、権利者がその物の経済的用法に従い利用することを妨げられるものであることを知りながら、権利者の意思を無視して敢てこれを無断で使用したものであるから、その行為自体もはや一時使用の域を逸脱したもので被告人にはその間一時的にもせよ終局的には権利者がその物を利用処分できる権利を完全に排除しこれを自己において利用処分する意思、すなわち不法領得の意思が存在したと断定している。

右判断は、弁護人所論の如く、本件犯行の既遂時期を昭和三六年五月一六日午前四時頃と認定することによつて、その説示自体が矛盾を蔵していることは、しばらく措くとしても、被告人が当時、被害者清水行雄方では毎朝商品仕入のため午前五時半頃から名古屋市に行くので本件自動車の必要であることを承知していたとの事実を前提としているけれども、前記認定の如く、本件当日の五月一六日は前日の祭の関係で清水行雄は名古屋市へ商品の仕入には行かないことにしており、そのことを被告人は承知していたのである。なるほど清水行雄は原審では、祭の翌日名古屋へ仕入に行かないことを被告人に言つていないから、被告人は知らなかつたと思う旨証言しているけれども、右証言は、同人の当審での証言、本件の前日の大垣祭における清水行雄方での営業状況、被告人と清水行雄夫妻と同日の応接及び本件当日右清水行雄は事実朝寝して名古屋市へは行かなかつたこと等に照して採用できない。

そこで前記認定の諸事実の下に本件を考えると、たしかに被告人が本件自動車を名古屋方面に向けて無断で運行してから途中これを乗り捨て、右自動車が再び所有者清水行雄の占有に復帰するまでの約一昼夜、客観的には所有者である同人は右自動車を利用することを妨げられてはいるけれども、被告人がこれについて、権利者たる右清水を排除する積極的意図を有したものと認めることはできず、従つて被告人には不法領得の意思はなく、本件については、窃盗罪は成立しないと言わなければならない。

次に被告人が本件において費消した一、二〇〇円相当のガソリンであるが、物の一時使用は必然的に何らかの程度の、その物の価値の損耗を伴うものであつて、その損耗が窃盗罪を構成するか否かは消失した価値の絶対量、あるいは使用された物それ自体の価値と比較しての相対量、その他の具体的状況に応じて考察されねばならない。消失した価値の絶対量が非常に大きく、また絶対量は軽微であつても右に述べた相対量が大きければ、逆に、それは一時使用の域を脱し、窃盗罪が成立するとされる場合も生ずるであろう。本件の場合消費されたガソリンの時価一、二〇〇円はそれ自体としては、窃盗罪の対象としての財物たるに十分な価値であるけれども、前記の諸事実、殊に被告人と清水行雄との雇傭関係、使用された物である小型自動四輪車の時価が約一〇〇、〇〇〇円相当であること、被告人が右自動車を使用した態様などから考えて、右ガソリンは一時使用に通常伴うやむを得ない損耗として右一時使用に含まれ、これについて別個に窃盗罪が成立するものではないと解するのが相当である。

これを要するに原判決には事実を誤認し、ひいては法令の解釈適用を誤つた違法があつて、右誤は明らかに判決に影響を及ぼすものであるから、結局論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。

そこでその余の控訴趣意に対する判断を省略し刑事訴訟法第三八二条、第三九七条第一項により原判決を破棄するが、本件は原裁判所及び当裁判所が取調べた証拠により、当裁判所において直ちに判決するに適するものと認めるから、同法第四〇〇条但書に従い、当裁判所において更に判決する。

当裁判所が認めた罪となるべき事実、前科の事実及びその証拠は原判決中原判示第一、の事実及びこれについて援用した証拠及び前科に関する記載とその証拠と同一であるから、ここにこれを引用する。右事実に法律を適用すると被告人の原判示第一の所為は刑法第二三五条に当るが、被告人には原判示の如き前科があるので同法第五六条第五九条第五七条により累犯加重をした刑期範囲内で被告人を懲役六月に処し、本件公訴事実中主文第三項記載の事実については前記の如く犯罪の証明がないから、刑事訴訟法第三三六条により無罪を言渡し、当審における訴訟費用については同法第一八一条第一項但書により被告人にこれを負担させないこととして、主文の通り判決する。

(裁判長判事 小林登一 判事 成田薫 斎藤寿)

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